第4回「命をいただくということ」2005年イタリア修行のこと

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イタリア滞在中にしたこと、研修旅行

イタリア修行中は、まずホテルに滞在し、歩いていける、料理学校に通いました。

そこでは、料理、ドルチェ、ワイン、イタリア語と至れり尽くせりの内容を教えてもらいました。

短い期間での学習でしたし、イタリアのことはあまり知らなかったので、一生懸命勉強しました。

そのカリキュラムの中には、各地を研修旅行でまわるというものがありました。

イタリア料理には欠かせない原材料の工場などをみて回りました。

お米工場

スポトルノ、ヴェネーリア社を見学しました。

めっちゃくちゃ、広大な敷地だったことだけ覚えています。

アルプスから運河をひき、水を貯めておきます。

雪解けの時期になると、いくつかの門をひらいて、水を流す。

冬はとても寒くなり、夏は暑いので、冬は水を凍らせないため、水を流し、夏はくさらせないため、水を流すのですね。

お米は、イタリアでは香辛料として使った時代もあり、日本のように主食ではなく、副菜、サラダのように食べられていたそうです。

昔のレシピには、お米のサラダなどがありますね。

塩田

場所はシチリアです。

当時はすでに封鎖され、機能はしていませんでした。

お塩を作る場所です。

ここも、また広い敷地でした。

ムリーノと言われる風車が美しかったです。

いくつか、エリアがわかれており、段階にわけて、陸の方に海水が移動していき塩が出来ていくという説明を聞きました。

風車は、風を送るためだったのでしょうか?

忘れてならない豚の解体作業

その日は豚の解体作業を立ち会う講習を受けました。

講師からは、「とても大切な講習だから皆さんもしっかり集中して」という内容の説明をうけました。

最初から最後まで目を離すことができませんでした。

生きている豚を殺め、その血、肉を切り分け、人間を食べるため、部位にして分けられていきます。

豚は、人間に連れられるとき、「死」を悟るのか、とても暴れます。

電気銃といわれるもので、豚の眉間を打ちます。

最後の一声を放って、豚は朽ちました。

それからは迅速にイタリアの職人が、豚を逆さまに吊るし、喉から血を流します。

すぐに血を抜かないと、身は硬くなります。

豚肉の血も、ソーセージにして食べます。

豚肉は鳴き声以外は、食べるという言葉があります。

人類が生き続けていくために、貢献してきた家畜。

彼らは、私語をすることもなく、黙々と、よく切れるナイフで作業をしていきました。

その後、近くのレストランで、我々は、生ハムや、豚肉料理をいただくのでした。

研修地はサルデーニャ島にきまりました。

勉強や、研修旅行などをして、滞在許可証がおりました。

これによって、研修に参加した全員が、各地の修行場所にちっていくことになります。

私の修行場所は、面接で「四国、高知県のような田舎で魚介料理も含めて勉強したい」と希望を言ったためでしょうか?

研修期間としては初めてサルデーニャ島にいく研修生となりました。

つづく

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