第7回「フェデリコ登場」イタリア修行

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はじめに

連載形式のイタリア修行日記は、石窯ピザフェデリコ、オーナー堅田が2005年に約1年間イタリア修行のため滞在した経験をもとに書いています。

修行場所は、イタリア北部、そしてフェデリコと一緒に働いたサルデーニャ島です。

イタリア国内の観光は20州のうち半分は行きました。

思い出だけをもとに書いていますので、正確な情報はインターネットで検索してください。

今回は、「フェデリコとの出会い」です。

初めて、サルデーニャ島に来た時のこと

2005年2月にイタリアに来て、料理学校にまず二ヶ月間通い、その後、研修先がサルデーニャ島に決まりました。

初めて船で行って、修行先のスタッフが迎えにくるのを待つのに、とても緊張した記憶があります。

迎えに来たのは、修行先のオーナーの息子、アンドレア。

体格が良くて、筋肉ムキムキで、ヒゲも生えていて、いかつくて、あまり喋らない(いえ、こちらがイタリア語を喋れなかったせいなのですが)なので、結構ビビっていた記憶があります。

アンドレアは、とても男前で(家族みんな男前)根は悪くない男だと後で気づきました。

彼とルームシェアをすることになります。

一緒に仕事をし始めて、一悶着がこれからあるのですが。

迎えに来てくれた後、荷物をまず同居するアパートまで置きに行きました。

迎えの時間は朝早くだったので、修行先レストランの開始時間までアパートで待ちました。

アンドレアは寝ていたようです。

サルデーニャ島の景観

まず、印象的だったのが、建物がピンク色や、うすだいだい色が多く、映画のロケで見るような、中近東のイメージも受けました。

山が見えるのですが、緑緑していなく、ドラゴンボールの漫画の背景に出てきそうな山並みです。

乾燥している土地で、後からわかるのですが、ほとんど雨が降らないことも関係しているのかもしれません。

フェデリコ登場

アンドレアの車にのせてもらって、初めてのイタリア修行先レストランに向かいました。

レストランの名前は「Da Adris」といって、アンドレアのお父さんがアドリアーノさん、長男もアから始まる名前だった気がするので、アドリスという店名は家族を象徴しているのではないでしょうか?

厨房に入って、パッと笑顔の目が大きな爽やかな青年がそこにいました。

フェデリコです。

イタリアでは、常に、ハンドシェイク(握手)します。

初対面でも常日頃会う人でも握手します。

ハグもします。

2020年、新型コロナウィルスが世界中で流行った時、イタリアで流行が止まらないというニュースが流れてきて、あれだけ人と人との距離が近いお国柄なので、流行も理解できたところがあります。

私は、あのイタリア人の気質が好きです。

イタリアにいるときは、日本人の友達と会うときもハグや握手をしていました。

日本に帰ってきたら、恥ずかしくて無理です。

フェデリコには本当に親切にしてもらいました。

彼のおかげでイタリアの印象が格段に良くなったのは間違いありません。

初日の仕事は料理教室だった

アドリスのオーナー、アドリアーノさんは、地元ではとても有名な人でした。

日本にもよく出張で行くことのある、非常に腕のあるシェフです。

ただ、お店では、カメリエーレ(サービス接客)に徹し、息子のアンドレアとフェデリコに料理をまかしていました。

初日の仕事は、アドリアーノさんの料理教室のサポートでした。

正直、イタリア語もできず、料理、サポートもできないので、一緒にお客さんと座って、講習をうけました。

座った横には、マダムたちがいて、沢山イタリア語で話しかけられて困りました。

今思えばというか、なんて言っていたのでしょう?

笑っていたので、私も笑っていました。

サルデーニャ島の地方料理

サルデーニャのオルビアというところでした。

料理教室はその後何回もありましたが、地元のレストラン料理を教えていました。

マッロレッドウスというニョッキみたいな大きさのパスタを作っていました。

マッロレッドウスは、オルビアではチゾーニと言っていました。

同じ料理でも、イタリア各地で方言で呼び名が変わるということです。

チゾーニは、レストランメニューにあったので、沢山仕込むことになりました。

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