第一「イタリア、料理研修に向けてはじめたこと」

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イタリア修行に行った時期

私がイタリアに料理研修に行ったのは、2005年でした。

約1年間イタリアに滞在しました。

よって日本にいなかったので、当時の流行歌など、帰国後、見ても全然わからず、奇妙な感じでした。

以下、年代流行さんのサイトより引用させていただきます

https://nendai-ryuukou.com/2000/2005.html

2005年(平成17年)出来事

  • ■日本プロ野球 セ・パ交流戦が開幕
  • ■愛知県で「愛・地球博」が開幕
  • ■JR福知山線脱線事故
  • ■宇宙飛行士野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ
  • ■エクスプレス線(東京・秋葉原駅~茨城・つくば駅間)が開通
  • ■ディープインパクトが三冠制覇を達成
  • ■日本の人口が1899年の統計開始以来初の自然減

2005年(平成17年)芸能ニュース

  • ■若貴騒動、花田勝氏の相続放棄宣言
  • ■安達祐実とスピードワゴンの井戸田潤が電撃入籍
  • ■ドラえもんの声優が一斉交代
  • ■狂言和泉流二十世宗家・和泉元彌がプロレスデビュー

2005年(平成17年)流行ファッション・髪型

  • ■個性派ストッキング&ソックス
  • ■ファーがブレイク
  • ■高級ジーンズ人気
  • ■やわらかジャケット」ブーム
  • ■ペンダント型フレグランス
  • ■スポーツウエア新トレンド
  • ■エスニックファッション
  • ■民族調スタイル
  • ■パイソン柄
  • ■ひげマルガリ

2005年(平成17年)新商品・ヒット商品

  • ■iTunes MusicStore(アップルコンピュータ)
  • ■EZ「着うたフル」(au)
  • ■HOMESTAR(セガ)
  • ■レクサス(トヨタ自動車)
  • ■リセッシュ(花王)
  • ■家庭用シュレッダー
  • ■ウォーターオーブン ヘルシオ(シャープ)

2005年(平成17年)新食品・ヒット食品

  • ■のどごし生(キリン)

2005年(平成17年)流行語

  • ■想定内(外) (ライブドア堀江貴文社長が、その負けず嫌いな性格からフジVSライブドア騒動の中で連発した)
  • ■クールビズ (夏に政府が主導した軽装運動)
  • ■ちょい不良オヤジ (月刊ファッション雑誌『LEON』が生み出した用語)
  • ■フォーー! (レイザーラモンHGのギャグ)
  • ■萌え~ (オタク用語でメイドやアニメキャラに燃えるが語源)

2005年(平成17年)ベストセラー

  • ■頭がいい人、悪い人の話し方(樋口裕一)
  • ■香峯子抄(池田香峯子)
  • ■さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(山田真哉)
  • ■新・人間革命(14)(池田大作)
  • ■これだは知っておきたい個人情報保護(岡村久道 鈴木正朝)
  • ■「もっと、生きたい・・・」 (Yoshi)
  • ■電車男(中野独人)
  • ■神秘の法(大川隆法)
  • ■問題な日本語(北原保雄編)
  • ■ワルの知恵本(門昌央)

きっかけは?

行くきっかけになっていたのは、まず、焦っていました。

私が料理人になったのは、25歳。

これは料理人のスタートしては遅いほうです。

最初から、イタリア料理をやりたいと思っていました。

シェフがパスタを作る様が、かっこいいと当時思ったからです。

それまでも異業種で働いていた私は、ハローワークで求人を探すも、イタリア料理を作れるレストランの求人はあまり多くはありませんでした。

最初は洋食屋さんでした。

少しはイタリア料理をできるだろうと思いました。

それから、職場を変えていくものの、なかなか、イタリア料理をやる機会がありませんでした。

(これらの経歴上の豆知識はまた違う連載で紹介します)

料理人になって2年後、「イタリアに行ってしまえば、全部、イタリア料理だ!」ということに気づいたのです。

店主カタタ

単純な発想ですね汗

どうやって行くことができたのか?

イタリア料理修行に行くために当時私が知っていたことは、現地のレストランに手紙を書くことでした。

料理雑誌や、イタリアに行ったことのあるシェフの記事を読んで知りました。

そこには、おおよそ、「何回も何回も手紙を出して、やっと、内定がもらえた」という内容が一致していました。

私はイタリア語は話すことも、聞くことも、もちろん書くこともできなかったですし、何回も何ヶ月も手紙を出し続けることは、無職になりますし、難しいことだと思いました。

結果、イタリア研修に行くためのお世話をしてくれる機関を利用することにしました。

どこで見つけたのか?

当時は、スマホはありませんし、パソコンも持っていませんでした。

グーグルやヤフーも今ほど発達していなかったと思います。

情報は今ほど豊富にあったとは言えません。

調べ物をするには、インターネットカフェにわざわざ行って調べていました。

研修先をお世話してくれる機関は、料理の専門雑誌の広告欄にあったと思います。

それをうっすらと覚えており、自宅で探して、連絡先を見つけました。

そのために何をしたのか?

機関を利用するので、非常に楽でした。

申し込みをして、お金を入金すれば、手続き諸々をしてもらえました。

必要なものは何だったのか?

パスポートくらいだったと思います。

入学金と、約1年間は生活できるだろうという、概算の生活資金を入金した通帳を用意する必要がありました。

大使館に、身分証明書とそれら諸々の書類を持って行き、ビザを所得するのでしょうが、私はやっていないのでわかりません。

個人で大使館に行って、手続きをした人の話を聞きましたが、担当者によって対応が変わりスムーズにいかないそうです。

どのような書類が必要なのかも提示してくれず、最初の難関は「大使館」だと聞きました。

当時の話です。

ですので、私は、イタリアに行くための準備は機関にまかし、それまでは、レストラン現職の業務に集中していました。

ただ、イタリア語は勉強する必要があり、その時間は全くたりませんでした。

スタッフウ村田

続き、楽しみにしていますよ(スタッフウ村田)

続くー

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