第2回「イタリア修行〜イタリアについてから」
日本で、イタリア研修をお世話してくれる機関に申し込み、現地にも機関の担当者が同行してくれました。
2005年当時参加したのは、約16名ほど、全国各地から参加され、料理人以外の方もいました。
イタリアの景色の美しさ
イタリアに行くまでの時間は14時間ほどかかりました。
飛行機から雲をわけて段々とイタリアの街に近づいていくのですが、月明かりに雲がてらされ、そして街並みの明かりの美しいこと、あの「今からどういう世界にいくのだろう?」という幻想的なワクワク感は忘れません。
成田から、アムノステルダムからトリノへいき、そこからバスで向かいました。
夜なんですけど、朝です。
時差が8時間あるので、8時間逆行するんですね。
不思議な感覚です。
ですので、私は夜、着いた記憶があるんですけど、午後に授業を受けたと日記にあるので、イタリア時間の昼に着いたのだと思います。
我々の時差感覚は夜なので、みんなぐっすり眠っていました。
飛行機の中で映画たっぷり見て、仲間とおしゃべりもできたので結構あっというまに着きました。
滞在した場所は?
ピエモンテのドモドッソラという場所のホテルに全員滞在し、そこから徒歩でドモドッソラにある料理学校に通いました。
https://goo.gl/maps/uiTTRPjqFUgTQnpE6
これが、カタタさんのよく言う、神聖なるパン焼き場ですね。
いまでは、もちろん使うこともなく重要な場所として管理されているのですね。
イタリアについてまずしたこと
慌ただしく、現地での料理とイタリア語、ワイン概論についての授業が始まりました。
研修機関におまかせしたので詳細がわからないのですが、「学校で勉強をしていた」ので、勉学に関わるビザだったのではないでしょうか?
どちらにせよ、1年間のビザですので、一年後には帰らないといけないのでした。
授業が休みの時、比較的すぐに、地元の警察署に滞在許可証を取りに行きました。
そこそこ時間がかかったと思います。
イタリア人の迫力と警察署の迫力で少々びびっていましたが、手続きは、ここも任せっきりで安心でした。
まかせっきりで楽ちん。
けどいつかそれぞれ研修先にいき、同行者はいなくなりますから、イタリア語を覚えるのは必須で急ぐ必要がありました。
携帯電話が必要
イタリアについて、まずしないといけない、したいことは、日本の家族に連絡をすることでした。
今では、wi-fiがあちらこちらにあるでしょうから、wi-fiがとれるスマホかタブレットを持っていけば、すぐにLINEなどで連絡ができます。
当時はそれができませんから、電話をするのですが、国際電話はものすごく高い!というガクガクブルブルな噂を聞いたので、誰も固定電話から電話をせず、、、すぐに携帯電話を買いに行きました。
端末自体は一万円もしなかったと思います。
ユーロだったので、多分そのくらいです。
手続き、設定の仕方をイタリア人のスタッフに聞くのですが、よく考えれば、ちゃんとイタリア語ができる人は同僚にいなくて、それなのに、聞いても専門用語ばっかりで理解できないのです。
ノバか何かで1年間イタリア語を日本で勉強してきたという人も現地のイタリア人の早口には到底かなわず、
その携帯ショップでは理解したつもりでみんな帰って行きました。
ただ、頭がいい人たちばかりです。
イタリア語のニュアンスと操作を色々することによって、使いこなせていました。
僕も確かやってもらいました。
携帯電話はどこにいっても必要ですね。
家族に「生きてるよ!」って伝える必要がありました笑
2005年当時のイタリアの携帯電話は、小さなガラケーみたいなもので、サムソンなどが台頭していました。
私はサムソンじゃなかった気がします。
それにプリペイドカードをタバッキオ(日本ではキヨスク、タバコ屋みたいな)で購入し、携帯電話である番号に電話し、アナウンス後、そのプリペイドカードの銀色のところをコインでけずって番号を読み、携帯電話に打ち込みます。
すると、ホニャララーとイタリア語が流れ、携帯電話が使えるようになります。
ある金額でプリペイドカードを買うので、それ以上電気代がかからないということです。
このスタイルだと携帯電話料金を節約できるなぁと思ったものです。
日本では月払い契約ですから。
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